
この前、
『きりたんぽ鍋』をした後、ライター兼編集者の
『山崎潤子さん』からの御礼メールにWordファイルが添付されていた。
何?と思ったが「4年前の事件の顛末を私目線でまとめてみました。以前穴澤さんのブログで、読者の方からの
『山崎さん目線で書いてほしい』というコメントを読みましていつか書かなければ!と思っておりました」とのこと。
「そんなことわざわざ書かなくていいのに」と思う反面、あのときの記憶が一切ないので、山崎さんは何を目撃したのか、どんな状況だったのか興味がある。読んでみると4年も前の出来事なのに、記憶が鮮明すぎる。それだけショックが大きかったということだろう。
ありがたいことにプロが書いてくださったので、転載します。真相を知りたい方は読んでみてください。
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2018日3月16日のこと
ことの経緯は当時の穴澤さんのブログにあった通りです。ただ、肝心の事故の様子は本人がまったく覚えてないので(もちろん今も)、目撃者の一人である私が記しておこうと思います。
その日は書籍制作のお仕事の打ち上げでイタリアンで食事をし、飲み直しつつ穴澤邸で大福たちと戯れようという楽しい一日、の予定でした。
ちなみに、同行していた某出版社のSさんと穴澤さんとは旧知の仲ですが、私と穴澤さんは仕事を通して知り合ったばかりでした。そんな私まで家に招いてくれるという、穴澤さんはとてもフレンドリーで懐の広い人なのです。
かといって、ぐいぐいとくるようなタイプではありません。「気をつかわせないように気をつかい、居心地のいい距離感や雰囲気を保ってくれる」感じです。それは今でも変わりません。そして穴澤さんの奥様のめぐみちゃんは、私が男だったらこんな人と結婚したいなあと思うような、キュートな女性です。
穴澤さん、めぐみちゃん、Sさん、私と、穴澤邸での宴もたけなわ、穴澤さんが「福ちゃんにおしっこさせてくるね」と、外に出るため階下に降りていきました(2階にリビングがある間取りです)。
するとまもなく「どんがらがっしゃーん!」とマンガのような大きな音が階段下のほうから聞こえたのです。当然、みんな思いました。あ、酔っ払って階段から落ちやがったな、しょうがねえな、あはは、と。
しかしその後なんの物音もしないので、様子を見に行きます。かなり派手な音がしたものの、せいぜい打撲くらいだろう、最悪骨折でもして動けなくなったかと思いました。
「ちょっとー、大丈夫? 死んじゃったらどうするの?」軽い気持ちでそんな言葉を発したような記憶があります。これについては数秒後、本当に、本当に後悔しました。
階段を降りていくと、穴澤さんはありえない形で倒れていました。普通、階段から落ちたらどうなると思いますか? 足をすべらせる、踏み外すのが原因でしょうから、下の段で尻餅をついているという姿を想像すると思います。
ところが、穴澤さんは仰向けの状態で、頭だけを階段の先にある玄関のたたきに落として、足をこちら側に向けて倒れていたのです。
これについては、いまだに何が起こったのか正解がわからないそうです。
つまずいた拍子に、にゃんぱらりと空中回転したのか、それともそばにいた福ちゃんをかばおうとしておかしな体勢になったのかもしれません。福ちゃんだけは見ていたはずなので、目撃者(犬)は彼だけなのですが。
福ちゃんは不安そうな顔でその場を見守っていました。吠えることもなく。階段上にいた大吉も、何かを察したように完全に固まっていました。
穴澤さんは一言も発せず、意識を失っていました。(あれ……もしかして、あまりよくない状況かも)言葉にはしないものの、一瞬で全員がそう感じたはずです。
Sさんはさすが年長者らしく、すぐに「頭は動かさないほうがいい」「首を動かしたらまずい」と言ってくれました。足がおかしな方向に曲がっていたので、下半身だけはそっと動かして体勢を直しました。
「まさるちゃん、まさるちゃん!」
「まさる! まさる!」
Sさんやめぐみちゃんの必死の呼びかけに、答えはありませんでした。
めぐみちゃんは、泣きながらすぐに救急車を呼びました。
「主人が階段から落ちて……意識がないんです。すぐ来てください! 早く!」
ダメ人間の私はパニックのあまりとっさの判断ができず、穴澤さんの足をさすったりするしかありませんでした。目を瞑ったままの穴澤さんの顔を見ながら、「ああ、穴澤さんって、歯並びがすごくいいのね……」などと、まったく関係ないことを考えて現実逃避をしようとしていた記憶があります。
すると「あ、いびきはまずいかも……」とSさん。意識はないままですが、穴澤さんから軽いいびきが聞こえてきたのです。最初は気づかなかったのですが、穴澤さんの頭の下に血だまりが広がっていました。そして、その血だまりは少しずつ大きくなっていきます。
やばいやばいやばいやばい……、早く救急車来て、お願い。
救急車が来るまでは呼びかけるくらいしかできず、全員パニック状態です。正直、血だまりは半端な量ではありませんでした。
パニック状態の中で、こう思わずにはいられませんでした。後頭部からこんなに出血するなんて、素人の自分が見てもかなりマズい。
……人が死ぬって、こういうことなのかもしれない。自分はいま、その現場にいるのだ。しっかりしなくては、と。(決して、決して、大げさではありません)
そうこうするうちに、ようやく救急車が到着しました。(場所がわかりづらかったようで、多少時間がかかっていたのです)救急隊員さんは状況を見てきちんと対処してくださいました。首と頭をしっかり固定してから担架に乗せてくださったので、とりあえずホッとしたのを覚えています。
ただ、救急隊員さんたちもやはり不思議に思ったのか「階段から落ちたのにどうしてこの体勢に?」みたいな会話がありました。
めぐみちゃんは一緒に救急車に乗っていきました。残されたSさんと私ですが、Sさんは血だまりや割れた瓶類の掃除、私はリビングの片付けや食器を洗う係ということに。
正直、これ以上血を見るのはショックだったので、ありがたかったです。
すでに深夜、主夫妻の不在にもかかわらず、心配した近所のご友人たちが穴澤邸に集まってくださいました。人数はよく覚えていませんが、総勢5、6人くらいだったと思います。当然、私たちは初対面です。私は「夜中なのに、穴澤さんったらすごい人徳だわ……」と思いました。
みなさん内心心配はしていたのですが、「あいつは普段から飲み過ぎるからバチが当たったんだよ」「まあすぐ帰ってくるだろう」みたいな軽口で明るくされていました。
そこへめぐみちゃんから電話がありました。ご友人の中にお医者さんがいらして、彼が電話を受けたのですが「うんうん……」と聞いているうちに表情が一変。
頭蓋骨骨折、頭蓋内出血、脳挫傷……(すみません、うろ覚え)。この時点で、10くらいの恐ろしい症状を言われたそうです。さっきまで軽口を叩いていたお医者さんのご友人は、マジメな顔になって「病院に行って様子を見てきます」と出かけていきました。その後、残りのご友人もお帰りになられました。
そして、まんじりともせずに夜が明けていったのです。穴澤邸のリビングには、昨夜から聞いていたビートルズのアルバムがリピートで流れ続けていました。「フール・オン・ザ・ヒル」っていい曲だよねという話題になり、穴澤さんがかけてくれたのです。そして穴澤さんがギター、Sさんがリコーダーで演奏して、楽しい夜だったはずなのに……。
私とSさんは、音楽を止めることも忘れていました。
大福は、当然いろいろ察したのでしょう。明らかに様子が違っていました。そばに来て撫でさせてくれる……はずもなく、落ち着かない感じで、リビングと寝室を行ったり来たりしていました。しばらくすると静かになりましたが、大好きな父ちゃんの事故を目の前で見てしまった福ちゃんのショックは、想像するにあまりあります。彼らなりに懸命に気持ちを整理しているようにも見えました。
私とSさんは、ほぼ無言。出てくる言葉といえば、「祈るしかありませんよね……」「そうだね。無事を祈ろう」くらい。言霊というものがありますから、悪い未来は口にしないようにしていました。
Sさんは言葉にはしませんが「打ち上げをやらなければ」などと思い巡らせて自責の念に駆られているのを痛いほど感じました。私はといえば、スマホで「頭蓋骨骨折 脳挫傷 どうなる 後遺症」などをつい検索してしまい、暗澹たる気持ちになっていました。
穴澤さんはどうなるんだろうか。もし助かったとしても、もとに戻れるだろうか。めぐみちゃんの将来は大丈夫だろうか。大福の世話だって大変だろうに。(なんなら、どちらかは自分が引き取ろうか)などと、いらぬ心配までしながら、頭がぐるぐるまわっていました。
早朝、心配しためぐみちゃんのご両親が始発で駆けつけてくださいました。そして鮭、海苔、味噌汁、炊きたてご飯などの完璧な朝食をつくってくださいました。主不在の他人の家で、初対面のご夫婦と一緒に和朝食を食べる。という、不思議な時間が流れました。
めぐみちゃんのご両親が大福をみてくださるということで、私たちも病院に向かいました。容態をみて手術がはじまり、手術は午後までかかるとのことでした。心配したご友人たちも何人か駆けつけてくれていました。
手術が終わり、めぐみちゃんに話を聞くと「命は助かったけれど、今後仕事を続けるのは難しいかもしれない」とドクターに言われたそうです。それが何を意味するのか、当然、その場にいたみんながわかっていました。
とにかく命があってよかった。そのときは本当にそう思いました。でも、未来を想像すると、涙が止まりませんでした。
仕事の打ち上げなんてやらなければよかった……。階段の手前で「気をつけて」って声をかければ違ったかもしれない……。あの日雨が降っていなければ……。
(当日は小雨で、階段が濡れてすべりやすくなっていたのかもと思ったのです)
しばらくの間、ずっといろいろな考えが頭をめぐりました。
数週間後、意識が戻ったとのことでSさんとお見舞いに行きました。でも、穴澤さんは逃げ出さないよう拘束具をつけられ、受け答えはあやふやで、私たちを見ても誰だかはっきりわからない様子でした。
「少しずつでもよくなってほしい。でも、完全にもとに戻るのは難しいだろうな」と思わざるをえない現実に、せつなくて、どうしていいかわからない気持ちになったのを覚えています。
……というのが、私の目線で見た、あの事故の本人が知らない顛末でした。
細かい部分は記憶があいまいな部分もありますが、ほぼこんな感じだったと思います。
あれ以来、快気祝いなどで何度も穴澤さんと食事をしたり(ごちそうになったり)と一緒に時間を過ごしていますが、事故の後遺症らしきものは一切ありません。
まさか100%、いや120%かと思える状態で回復するとは。あの日を知っている私たちにとっては、まさに夢のようです。
あれから4年もたったので、さすがにもう心配ないだろうという気持ちもあり、自分の備忘録という意味でまとめさせていただきました。
いやー、本当に奇跡です。
穴澤さん、あなた自分が考えている以上にすごいのよ!!!
当時のめぐみちゃんの心労を思うとね……、本当に素敵な奥様です!!!
と、一生言い続けたいです。
山崎潤子
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ということだったそうです。いやー、申し訳なさすぎる。今更ながらご心配をおかけした皆様、すみませんでした。なぜか現在はいたった元気です。