
先週の日曜日は、活動を再開した「憂歌団」を観に日比谷野音へ行ってきた。まぁ年齢層の高いこと高いこと。おっさんばっかり。と思ったら自分もおっさんだった。憂歌団をはじめて聴いたのは、中学生の頃だったろうか。内田勘太郎のギターは衝撃だったなぁ。

その当時内田勘太郎が使っていたのは「チャキ」というメーカーのアコースティックギターで、それがまたボロボロでむちゃくちゃ渋いうえに、めちゃくちゃ上手いし、基本はブルースなのに突然お洒落なメロディーを弾いたりするので、たしか深夜番組か何かで見て釘付けになったのだった。

それで一気にファンになって、建て替える前のボロかった三ノ宮のチキンジョージとか、今はもうない大阪のバナナホールとか、酒蔵を改装した京都の磔磔とかに足繁く通ったものだった。磔磔では最前列に座って、ライブが終わった後、勇気を出してローディーに「その落ちているピックをください!」とか言ったら「ほらよ」という感じであっさりくれたときは嬉しかったなぁ。

憂歌団といえばアコースティックなイメージがあるが、実は一度エレキに持ち替えた時期があり、その頃のライブにも行ったことがあるのだが、凄く良かったのを覚えている。内田勘太郎はどこのメーカーがわからない赤白のストラトを弾いていて、それが驚異的にいい音を出していたのだった。後で調べたらYAMAHAのF100という名機といわれるアンプで、数年後にマネして中古で買ったりしたがあんな音は全然出なかった。

ギターのことばかり書いているけれども、憂歌団はとても素晴らしいバンドだった。長いこと活動休止していたし、数年前にドラムの島田さんが亡くなってしまったので、もう二度と観ることはできないんだろうと思っていたが、新たに新井田耕造が加わって再始動したらしい。大阪でまだ小僧だった頃によく聴いていたバンドを、25年以上経って東京の日比谷野音でまた観られるなんてと、感慨深いものがあった。

今日の文章、たぶん何回読んでも頭に入ってこないと思う。
<追伸>
そうそう、今回の憂歌団の日比谷講演ではアンコールが終わって、本日の講演はすべて終了しましたというアナウンスが流れて客が一斉に帰りはじめている最中に、また出たきたんですよ。ステージの方から「うぉぉおおおお!!!」という歓声が聞こえたので何事かと思ったら「まだやるぞー!」という木村充揮の叫び声が聞こえて。帰ろうとしていた群衆は大逆流して大盛り上がりでした。そこから2〜3曲ほど演奏したんですが、最後に「君といつまでも」をやってくれたのは嬉しかったなぁ。憂歌団バージョンがとても好きだったので。